第23話 たかがカタログ、されどカタログ。
2020.08.01
私にとって大きなチャレンジの一つ、それはデビアス冬のキャンペーン、コレクションのカタログの表紙をパリで撮影するという大胆な賭けをしたこと。
1970年代はプリント媒体全盛の時代。
だから主役は写真。写真の良し悪しが売上を左右する時代であった。その頃は、女性達が宝石店の店頭を訪れ、実際のジェリーと対面することは稀であったから、ターゲットの女性が情報を得るのはカタログだった。
彼女達にダイヤモンドの魅力を伝えるのは、カタログの写真。ジュエリーの美しさや、素晴らしさ、そしてそれを着けたときに広がる世界観を想像できるような写真でなければならないと思っていた。
私が一番悩んだのは、そのジュエリーの写真だった。
アートディレクターとしての私の葛藤は、自分で写真を撮影することができず、カメラマンを通して商品を再現してもらうことしかできないことだった。出来上がった写真を見て、私はいつもため息をついた。文句なしのジュエリーの写真、しかしそこには人を惹きつける何かが足りなかった。
一方ヴォーグやBAZZARなどに載っているジュエリーの写真は魅力的で見る人を惹きつける力があった。その違いがどこで出てくるのか、私はわからなかった。
その頃見た007の映画の中で、着物を着た日本人が出てきた。美しいモデルが美しい着物を着ている。でも、日本人から見ると、何かおかしい、着物を着た女性の美しさが見えなかった。
「これなんだ!」と私は思った。
着物の文化がない人が着物を撮影するとこうなる。ジェリーだって同じかも。
ちょうど次の年、1978年の冬のコレクションのテーマが決まったばかりだった。テーマは「カクテル」。ダイアモンドジュエリーも、カクテルも日本になかった文化だ。このテーマを素晴らしく撮影できるのは、その文化がある国の人だ。と、私は思い込んだ。
「たかがカタログの写真でパリまで?」と非難されつつ、私は営業を、クライアントを説得して周り、遂に承認を勝ち取った。今まで誰もやらなかった大きな賭け、しかしこの決心は素晴らしい経験を私にさせてくれた。
テーマのカクテルの写真。この撮影のために特別に作った10カラットのダイアモンドピン。
カクテルのシズル感とダイアモンドジュエリーの存在感。
25種のカクテルは、パリの一流バーテンダーが制作。
スタイリストが100以上のグラスを集めてくれた。
モーリス・スミス、パリ在住のイギリス人カメラマン。彼は私に新しい価値観の扉を開いてくれた。2週間で26種のカタログの表紙を撮り終えた時、私は日本人と外人の世界観、意識の違いをはっきりと感じ、そして多くの収穫を得たのである。
実際のカタログの一部。
カタログは好評であった。
雑誌も注目してくれ取材もあった。
しかし私は新たな課題を抱えた。
キャンペーンの次の年、1979年にコマーシャルフォトから撮影記録を取材される。
ダイアモンドジュエリーは女性の生活の中にあり、それを飾る人を輝かせるもの。まだ経験の少ない日本の女性達を魅惑するために、何が必要なのか、日本のカメラマンと協力して日本人の価値観に立った美しいジュエリーの写真への挑戦が始まった。
たかがカタログの写真と思う人は多いだろうが、たかが、に挑戦したのは若さゆえだったのか。