「アアナッテ、コウナッタ」~わたくしの履歴書~ 小池玲子ブログ

第26話 外資のクリエーターの知らざれる苦労

2020.09.15

これまで私の入社以来の話を書いてきた。
一見全て順調でイケイケだったように見えるだろう、が、とんでもない!まさに毎日が戦い(といっても小競り合い)の連続であった。
  
それはまさしく異文化との戦い!
外資系故に40年前、女の私を採用してくれたのだが、仕事を続けていくうちに欲が出てきた。それは製作した広告を日本の中で認めてもらうこと。しかし、その夢に立ちはだかったのは異文化であった。その原因は3つに分けられる。
 
 
1番目は英語。その当時、JWTのクライアントは当然100%外資。日本語で製作の話ができるのはそのほんの一部。全ての書類は英語であった。会議でも英語のできないクリエイティブは蚊帳の外に置かれた。
  
当時、先進諸国にとって日本は可能性に満ちた、有望株の国であったのだろう。外資企業のトップは全てといっていいほど外国人であった。そして外資企業での日本人と外国人の力の差は大きかった。
  
しかも彼らは広告をマーケティグ上の重要なものとして関心を持ち、ある人はディテールにまで口を出した。それゆえ、クライアントの承認を得るためには、本来なら日本人に伝えるはずのコピーも全て英訳され承認を取らねばならなかった。
   
キャッチコピーにしても、日本人に受ける感覚的なコピーは英語に翻訳すると、とても変なものになってしまう。例えば、その頃話題となった「男は黙ってサッポロビール」は日本人には受けたが、これを外国人に分からせるのには大変な努力を要する。
  

ジョニーウオーカーの広告。「ラベルは人を語る」この広告のコピーを書いた方は、コピーライターとして著名な方。
しかしこのコピーを直訳で外人クライアントに見せてもOKは取れない。
    
また、そのコピーを翻訳する翻訳者が問題となる。機械の説明の翻訳ならいざ知らず、センスを土台にしたコピーをその雰囲気を伝える翻訳をしてもらうのには大変な努力を必要とした。
 
 
2番目がこちらの都合でなくクライアントサイドの問題。外国人トップと日本人現場のコミュニケーショントマーケティングに対する考え方のギャップである。トップはあくまで戦略に基づいてクリエイティブを判断する。しかし当時は戦略のなんたるかを知らない日本人担当が多かった。

クライアントのトップの判断と現場の判断は異なり、得てして現場担当は細かな表現に口を出す。結果、少しずつコンセプトから外れ、最終案を見たトップが「最初のコンセプトはどうなった」と、激怒。そしてやり直し。
  
  
3番目は感性の問題。日本人にとって朝のイメージは爽やかなブルー。しかしアメリカのミシガン南部から来た人にとって朝は大平原に登るパワフルなオレンジ色。
 
愛情表現にしてもしかり、40年前の日本人はハグもしなければ人前でキスもしない。たとえダイアモンドを贈られても、だ。
  
  
1984年の手帖。デビアスでは各国のクリエーターを一堂に集め、広告についての
合宿のようなものを1年に一回ロンドン郊外で行なった。
沢山のクリエイターやスとラテジックプランナーが集まったが全て英語だった。
日本からは2人か3人、英語の海で溺れすっかり食欲をなくした。
 
結果日本人が本来持っている感性を表現できず、理論が先立つ、理屈っぽい表現に落ち着いてしまう。いかにも外資系のCMが出来上がる。
 
こんな戦いの中で私は日本人に共感してもらえるCMを作りたいと切に願った。
そのためには何をしたら良いかは、次のお話で。