第5話 幼稚園は放浪癖
2019.10.01
私が子供の頃、幼稚園に通う子はそんなに多くはなかったと思う。
でも家から歩いて行けるところに、洋館建の可愛らしい幼稚園があった。しかし、父は私を5つ上の姉と同じ、大学の付属幼稚園に入れようとした。
そして、まるで現在のお受験ママのごとく、父は毎朝、私を自分の前に立たせて面接の練習させた。その頃は面接と言わず、口頭試問と言っていた。自分の名前と歳を言って正しくお辞儀をする。父からの質問に答える。毎朝それを繰り返し練習させられた。父はその女子大になぜかコンプレックスを持っていたのかもしれない。
幼稚園時代(右端:玲子)
父は子供たちに対して、男の子は東大、女の子は御茶ノ水と言う夢を持っていたようだ。残念ながら皆、愚鈍な子供たちで、唯一東大に受かりそうな頭脳を持った兄も、反旗を翻して教育大を受けてしまったため、父の夢は無残にも打ち砕かれたが。
私の通っていた幼稚園は煉瓦造りだった。各部屋のドアの上から天井までの空間には、ステンドグラスがはめ込まれていた。そのステンドグラスの絵柄によって、「林の組」「川の組」などとクラスに名前がついていた。幼稚園には写真屋さんが時々きて、みんなの遊んでいる様子を写真に撮ってくれ、父兄に配ってくれた。「指をしゃぶってはいけない」と常々言われていたにもかかわらず、なぜかまさにそのシーンばかりが撮られてしまっていた。
この幼稚園は遠くから通園している子供が多く、朝と晩のお見送りお迎えが義務付けられていた。私は同じ敷地にある小学校に通う姉といつも通学していたが、朝は同じ時間に始まるから良いけれど、幼稚園と小学生では終わる時間が違うので、私は姉の授業が終わるまでずっと待っていなければならなかった。
幼稚園時代(上:玲子)。
このことに私は大変不満であった。なぜなら毎日、毎日同じ道を通うから、すっかり道順を覚えてしまっていた。なぜ自分は一人で帰れないのか、自分は一人で帰れるのに...と勝手に帰ってしまい大騒ぎを引き起こしたことも。
ある日砂場で一人遊んでいると、後ろでヒソヒソ声がした。
女の先生と誰かのお母さんだったと思う。
「あの子は放浪癖があるんですよ」
という言葉が聞こえてきた。放浪癖とはなんであるかわからなかったけれど自分のことを話していると感じた。声の調子からあまり良いことではないと子供ながら想像がついた。とにかくこのように私は問題児であった。
一番上の姉が私の幼稚園通園のため作ってくれたバック。
麻布にうさちゃんのお母さんと赤ちゃんの刺繍をしてくれた。
しかし問題児は他にもいた。
目の大きな西洋人形のような可愛い女の子で、誰とも口を聞かず、先生とだけ話しをした。お遊戯の時間、同じクラスメイトと手を繋いでスッキプをするときも先生とだけした。彼女とは高校まで一緒だったが、高校生の時の彼女はまるで孵化した蝶々のように、明るく、活発で、おしゃべりで、数学が特に得意で、成績優秀で、一流大学に進学した。
時々若いお母さんの愚痴を聞く。子供の成長についてである。
この頃の子供は幼稚園に入るまでに、できるようにしておくことがたくさんあるらしい。「うちの子は口が重くて。」と心配そうに眉を曇らせる若いお母さんがいるが、私は自分の経験を話して安心させる。
今のように何歳まで何ができるようにということを一方的に押し付けられる子供はかわいそうである。それは教育する側の手間を省く手段のような気がする。どんな子供も白鳥に変身する要素を持っていると私は思う。子供の可能性を小さな枠で摘んでしまわないようにと願う。