「アアナッテ、コウナッタ」~わたくしの履歴書~ 小池玲子ブログ

第14話 大学は出たけれど・・・・

2020.02.15

大学は出たけれど…
昔どこかで『大学は出たけれど』という言葉を聞いたような気がする。
  
私の学年のVD(ヴィジュアルデザイン)科は22名。
その内訳は女性が10名、男性が12名。その女性たち全てに就職のあてがなかった。だが、男性たちは結果的に電通が7名、一流化粧品会社が2名、有名デザインプロダクション1名、デパート宣伝部に1名、就職が決まっていた。
 
女性たちはツテを頼りに、印刷会社のデザイン部、文房具製造会社の商品部、デザインプロダクションなどに片っ端からアタックした。中小を問わず、例え意にそわなくても、潜り込むしかなかったのだ。
 
 
「女性のデザイナーはいらない」
これはその頃、デザイン関係会社の経営者が口を揃えて言った言葉。
「女性を採用しても、育てて使えるようになると、結婚して退職してしまう。時間とお金の無駄である。」
「デザイナーの仕事は苛酷である。徹夜もしなければならない。そんな環境に女性はおけない。」
 
また、これは聞いた話なので真偽のほどはわからないが、当時芸大自体が女性の入学には疑問を持っていたようだ。
芸大は国立である。税金で運用されている。工芸科の生徒には、年間かなりの額の税金が使われる。学科試験でも、実技試験でも、女性は試験勉強がうまい。女性が入学者の半分を占めてしまう事にもなるかも…と、恐怖を抱いている教授もいたようだ。女性の入試のカットラインは男性より高いというような話も聞いた。そんな世の中であった。


短大の時にお会いした、電通のお偉いさんの言葉。
「芸大でも出ていれば、女性にも可能性はあるかも」
 
しかし、4年経っても状態は全く変化していなかった。とにかく広告代理店の上位 10社が、女性のデザイナーを募集していなかった。

もちろん私自身にも責任はあった。
情報を集め、芸大にいるうちにどこかの会社でアルバイトをしてコネを作っておき、就職に備えておけば良かったのだが、全くそのような事に気が回らなかった。
 
 
とにかく、なりふりかまわず就職先を見つける事が先決であった。いつも反発していた一番頼みたくない父にもすがった。
 
結果、とあるデパートの宣伝部に拾ってもらった。配属は宣伝部の中の新聞広告制作の部門。あこがれの広告制作。希望に満ちたデザイナーとしての一歩が始まった。



新入社員の私。


しかし入社して初めて命ぜられたのは、朝の行事であった。
女性社員は仕事内容に関わらず、男性社員より朝10〜20分ほど早く出社し、課全体の机拭きと、男性社員の机にある灰皿を洗った後、 お茶を入れて各机に置き、男性社員及び課長の出社を迎える。そして朝の定例の朝礼が始まるのだ。

私と一緒に入社した同級生は男性だから、もちろんこの仕事はしなくてよかった。やっと希望に近い仕事にありついた私は、何の矛盾も感じず、嬉々としてこの作業を行った。
 
 
新聞広告がつくれるなら、
何でもやろうじゃないか。