第22話 ダイヤモンドの深謀遠慮(3)イギリス人から見た日本人の定義付け
2020.07.15
デビアスが日本にロンチした当時は、
日本人の生活の中にダイヤモンドは影も形もなかった。
しかし、現在我々の生活のなかに、ダイヤモンドは、あるイメージを代表するものとして、しっかりと存在している。
これは1964年から20年以上にわたって、デビアスが日本人の生活、その心の底にあるものを代理店とタッグを組んで調査研究し、最も効果のあるやり方で訴え続けた成果であると思う。
何年にもわたる調査の結果、
デビアスが位置付けた日本人とは、この言葉に集約される。
「節目キャンペーン」。
彼らにとって日本人は、人生の節目節目を大切にし、祝う民族に見えたらしい。そう言われてみれば、日本人は一生の間に様々な祝い事をする。日本人の節目節目を祝う習慣に、ダイヤモンドを位置づけられないかという作戦である。
1993年の法政販売業者へのパンフレット。表紙に節目キャンペーン特集号の記載が。
その結果、様々なキャンペーンが生み出された。成功したものもあれば、うまくいかなかったものもある。
男女の愛の証である婚約については、1969年に「エンゲージメントリング」をスタート。ダイヤモンドのエンゲージメントリングの認知度がある程度上がったところで、日本の結納返しの風習にかけた「結納返しのダイヤモンド」のキャンペーンをスタートさせた。
成人式が一般的になると。親の娘に対しての愛を表現するものとして、成人式にかけて「二十歳のダイヤモンド」をスタート。
夫婦の愛の証としては、第一子の誕生の感謝を込めて、夫から妻へ贈る「エタニティリング」を。結婚10年の記念日は「スイートテン・ダイヤモンド」。結婚25周年は「25th アニバーサリー」として、さらに大きな1カラットのダイヤモンドを。と、キャンペーンを展開させた。
デビアスはこうして節目節目のお祝いにダイヤモンドを滑り込ませ、愛の表現として最高の贈り物のイメージを定着させていったのである。
一方、彼らは日本人の生活習慣に対しても貪欲に研究した。1960年代は正規雇用が一般的で、年に2回のボーナスが、当時は当然ながら給料の一部として考えられていた。
日本の商戦のピークが2つのボーナスシーズンに集中することを知ると、宝石業界全般の底上げを目指していた彼らは、冬のボーナス時期に、ダイヤモンドジュエリーの新作を発表。「ダイヤモンドコレクション」として参加した宝飾企業の新作のパンフレット作り、店頭POPを宝飾店に配布した。またイメージを醸成するTVCFを製作放映。これは1972年から1993年まで続けられた。さらに、夏のボーナスもかなりの比重を持つことを知ると、「ダイヤモンドサマーギャラリー」として発表、同じように参加した宝飾企業のバックアップを図った。
この2つのキャンペーンには、2方向の目的があった。当時、認知が低かったダイヤモンドジュエリーに対して、宝飾業界及び一般消費者の認知度を高めるため。そしてもう一つは、宝飾企業に課題を与えてデザインを開発させ、宝飾業界の意識の底上げを図り、一般消費者にはデザインの豊富さを知らせるためであった。
彼らの目論見は正しかった。我が国の経済成長とともに、1989年、日本はアメリカに次ぐ世界第2位のダイヤモンドの消費国となったのである。