第35話 去るにあったって
2021.02.15
私の心は会社から離れていった。
そこには様々な要因があった。とても簡単には説明できない複雑に絡み合った要因。27歳から50歳まで、23年間。何も知らなかった私を育て、様々な貴重な経験させてくれた会社。
私の仕事を認めてくれ、重要な役職に指名してくれた方が去り、仕事の上で尊敬し、信頼していた人が去り、私の中の会社は色褪せていった。
一方、様々な外的要因によって会社のほうも私を必要としなくなったのだと思う。広告代理店はそのクライアントによって左右される。バブルが弾けたことにより、会社のトップクライアントに変化が起きていた。それは、重要とされる人が変わってゆくということだった。
去るにあったって私は自分に問うてみた。私がこの役職になることを決心した動機、その動機に答えを出したのかということ。
以前書いたが、当時、外資系クライアントは、その規模が大きければ大きいほど、海外の本部の力が強く、広告する国の状況を考えない場合が多かった。お仕着せの表現ルールに甘んじなければならない時、クリエイターが力を発揮できず萎縮してゆく。自分が望まないものを作ることは無気力を生む。
クリエイティブのトップになる前、会社の制作物の質に関して、ある人の厳しい批判の言葉を聞き、私の心に浮かんだ反論は、「我が社のクリエイター達はみんな力がある。望んでレベルの低い制作物を作っているのではない。置かれた環境がそうさせているのだ」と。
制作物のクオリティを上げるためには、外国人クライアントに対して日本の状況を説明し、説得する人が必要であった。トップの座を引き受けたのはその役割を引き受けようと決心したから。そうすることで、クリエイターたちが、もともと持っている力をのびのびと発揮できる。
日本で認められる広告ができる環境を作ろう。認められることで、クリエイターが誇りを持ち、自信を持ってゆく、頑張ってゆく。私はそこに自分の役割を置いた。
一方でクリエイターたちに欠けているものは何かを考えた。一握りのクリエイター除いて、若いクリエイターの多くは制作する能力はあるのに、それをプレゼンする力が欠けていた。私は彼らに自分の仕事を自分でプレゼンするように要求した。自分の仕事を実現するためには絶対に必要な条件だからと説明した。クリエイターの多くは内気で口下手であったため、この要求に戸惑い悩んだと思う。
若いクリエイターの多くは海外の経験がなかった。若いうちに海外の異文化に触れ、刺激を受けることは大切なことと考えた。社内で賞を設け、受賞者は旅したい都市への旅行をさせた。ある若者はNYを選び、ある若者はローマを選んだ。帰国後彼らが報告に来た時の顔は輝いていた。
会社の制作した作品が受賞する数が増えた。そしてリーダーのクリエイティブディレクターたちは力をつけ素晴らしい仕事をするようになった。問題が起きても、的確に判断し、自分で処理できるようになった。
形で明確に出すことはできないが、自分にとっては60%の満足かな。精一杯やったという自己満足で幕を引く決心をした。
イラストのうまい部下が書いてくれた似顔絵
美人に描いてくれた(忖度かな)ので気に入っている。
送別会をしなかった。その代わり制作の部員全員のポラロイドの自撮りとコメントを、『JWT-CREATIVEの小箱」とタイトルをつけて送ってくれた。その中の若いクリエーターのコメントにホロリとさせられた。
「ありがとうございました。小池さん。怖かったけど、好きでした。残念です。」