第50話 外国人社長と日本の魅力との相関関係
2022.02.15
2000年代に入ると日本に来る外国人ビジネスマンの質が下がった。と、私は肌で感じた。それは、日本経済が、景気後退局面に入り、生産は大幅に減少するとともに、失業率も既往最高水準を更新し続け、実質経済成長率は、2001年4-6月期以降マイナスに転じていった。このことが如実に、示していたのではないかと思う。日本は世界から見て魅力のない国となってきたのである。
パブリシスは世界的には認知され、ヨーロッパではナンバーワンの広告代理店であったが、如何せん日本においては弱小も弱小の、広告代理店であった。パリの本社は日本での提携先を探した。いくつか候補が上がったがモーリスレビン(パブリシス・グループの総師)の目的に合わなかったようだ。
そんな時、小さなPR会社の買収が決まった。この買収でパブリシスに一体どんな利益があるのか私にとって疑問であったが、それは決定された。
結果的にそのPRの会社の社長がパブリシスジャパンの社長を兼ねることが決まった。彼はアメリカ人。日本に長くいて日本語がペラペラであった。ここがパリが唯一の利点として社長にした点であった。と思う。
それからが日々驚きの連続。
アメリカ人の社長は、朝は11時に出社、マクドナルドのコーヒーのロングカップを2個買って来させて、英字新聞を読みながらそれを飲む、それが午前中の仕事。PR会社から来た社員に社長はいつもこうなのかと尋ねると、何の疑いもなくそうだと答えた。それはまるで農場主がコーヒーを優雅に飲みながら、小作人がせっせと働くのを眺めている図式であった。
こんなことではダメだ。会社がおかしくなってしまう。私の考える社長の役割は企業の成長を描くストーリーテリングのできる人。自社のビジョンをしっかりさせた上で求心力を持つこと、もしそれができなくても最低、社員の相談に乗れる人である。新社長は私との対話を避けた。自分は広告の分野に無知であることを理由に。
確かに、彼は一年間の在任中一度もクライアントを訪問しなかった。多分、広告に対しての無知を知られたくなかったのだろう。私にできることは、できるだけ客観的な視点でパリの本部にレポートを送り、社長の更迭を願い出ることだった。
次に送られてきた社長は、本国でビッグクライアントの営業のトップだった高齢の営業マン。そのせいかプライドが高く、この小さく、問題の多い代理店について、そして日本について、愚痴をこぼすのみであった。
赴任する前、彼らは何を聞いてきたのだろう。高度成長の時代は去り、日本の市場は過酷な競争の場となっているのに。と、私は思った。こんな状況で、クリエーターである私は制作に専念したかったがそういうわけにもゆかず、様々な面倒を排除することに時間を取られ、いたずらに時が過ぎて行った。
▲毎年たくさんのクリスマスカードをいただいたり送ったりしたけれど、その中で一番心に残ったもの。
こちらが表紙。一年が終わり、そして開くと新たな年の始まり。