「アアナッテ、コウナッタ」~わたくしの履歴書~ 小池玲子ブログ

第51話 プロローグ&エピローグ

2022.03.02

「終わりは、始まり。」
一つのドアーを閉めると、いつもそこに新しいドアーが待っている。これが私の信条。日本の企業から門前払いを食い、外資の企業に拾ってもらって、35年。結果的に本当に良かった、というのが私の感想。
  
その理由をいくつか挙げてみる。
  
まず、男女差別は確かにあった。
働いている人間が日本人男性である限り、その心は変えられない。しかし外国人の上司は、仕事の上では対等であること、能力をちゃんと見て、評価してくれた。
   
また、自分の意見を、臆さず発言する習慣がついた。当時日本の企業では女性が会議に出席し、発言することはかなり難しかったと思う。しかし、外資の企業では会議に出席していて意見を言わないものは、何も考えていないとみなされる。
  
私のように制作担当であると、発言し、戦わなければ自分の仕事を守れない。クリエイティブは最終の作品、消費者が目にするものが全てである。自分が納得したものを実現し、世に出すこと。そのためには意見を言う。

どうしたら理解してもらえるか、そのことには知恵を絞った。国によって価値観の違いがあることを知り、このことから説得の戦略方法を学んだ。
  
仕事上、責任範囲が明確であった。女性であろうとなかろうと。責任を持たされる事はそのぶん、重圧であると同時に勉強し、成長できた。
  
理論的に考えることを学ばせてくれた。制作部門であってもマーケティングの基本を教え込まれた。クリエイティブをマーケティングの目線で制作できるようになった。
   
これらのことは、私の人生を大きく変えたと思う。どちらかと言えば私は、クリエイター指向の人間にありがちな、内向的で人とのコミュニケーションが不得手であった。が、なんとか頑張っているうちに私の中の眠っていた部分が目覚めたのであろう。ブロークンの英語で、多勢の会議の出席者の前で平気で話すまでに度胸がついた。
   
外資での35年の間、様々な国の人と仕事をした。そして、彼らが個人に求めていることは、どこの大学を卒業しているか、何歳なのかなどということではなく、どういう考えを持ち、何をなそうとしている人なのか、ということがはっきりとわかった。
   
いわゆる外側の包み紙でなく、中身によって評価されることを実感した。35年間の仕事の間、外国人のクリエイターや、仕事で付き合った人から、どこの大学を出ているかということを聞かれたことはなかった。

日本での東京芸術大学卒は、外国の仕事仲間にとって何の意味もないものなのである。

日本の状況、経済の変化により、私は日本における外資系の広告代理店ではもう学ぶものがないと感じた。また私の仕事の限界を感じた。

そう、新しいドアーを開ける時が来たのだ。


▲パブリシス退職時に、お世話になった皆様に出したご挨拶のカード。大好きなTHE Giving TreeのShel Silversteinのイラストを真似て、首輪を解かれた犬が自由に走ってゆくイメージを。